人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(17)

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2010/09/27 09:52

さて、柚木駅を過ぎると富士川にさしかかる。

静岡県には富士川、大井川、天竜川と3つの大きな川があり、その最初が富士川だ。
ここは、源平合戦の際の「富士川の戦」で有名。石橋山合戦で敗れた源頼朝は、関東で勢力を増し、富士川で京から来た平家の軍勢と対峙した。このあと続く源平合戦の最初の戦いである。

源氏方には武田信義を筆頭とする甲斐源氏が加わり2万余騎。一方平家方の総大将は平維盛、軍勢は4000騎ともいわれ、もともと劣勢であった。

戦いの前夜、平家方の背後をつくために武田信義が富士川の浅瀬に乗り入れると、沼に群がっていた水鳥の大群が一斉に飛び立った。この羽音を敵の襲来と勘違いした平家方は大混乱。総大将の維盛が退却したことから全軍が総崩れとなり、平家方は戦わずして敗れることになった。



富士川の渡し


そのありさまは「平家物語」にも、「とる物もとりあへず、我さきにとぞ落ちゆきける。あまりにあわてさわいで、弓とる者は矢を知らず、矢をとる者は弓を知らず。人の馬にわれは乗り、わが馬をば人に乗らる。」と描かれている。

維盛は、遠江国で陣を立て直そうとしたができず、結局全軍散り散りとなった。維盛が京に逃げ帰った時につき従っていたのはわずか10騎といわれる大敗であった。

富士川を過ぎると、東海道は山道となる。富士川沿いにも道があるのだが、街道は山の中腹あたりを通っている。なぜわざわざ山越えをするのか不思議なのだが、富士川が氾濫して通行できなくなること恐れたのかもしれない。

この付近はごく普通の田舎道のため、歩いていて不安になるが、岩淵の一里塚をみつけて東海道であることが確認できた。



岩淵の一里塚


このあと、新幹線の下をくぐり、東名高速道路の上を渡って、山を降りると蒲原宿がみえてくる。



東名高速にかかる橋から
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