人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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苗字記念日

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2010/09/13 09:20

9月19日は「苗字記念日」だそうである。2月13日の「苗字制定記念日」は別に、もう1つ記念日があるのだ。

明治3年9月19日、武士以外も名字を名乗ることが許された。しかし、明治3年といえばまだ元号が変わって政治の体制が変化したばかり。庶民の生活は江戸時代とは変わらなかった。

そのため、平民は苗字を公けに使用することにはかなりためらいがあったようだ。何しろ、260年間禁止されてきたものを突然許すといわれても、そう簡単にできるものではない。

そこで政府は明治8年2月13日に、今度は苗字を持つことを義務づけたのだ。その理由は当然近代国家への変貌である。

当時、アジアや中東、アフリカなどでは名字を持たない国は珍しくなかった。しかし、欧米諸国ではすべて名字があり、近代的な戸籍制度が整っていた。日本もこうした欧米列強に並ぶため、戸籍の整備が必要だったのだ。

また、江戸時代とは違って、徴税や徴兵といったシステムを国家として行うには戸籍制度の整備は必要不可欠だった。

明治の要人とはいっても、少し前までは“浪人”という名の反体制派アウトローだった人物が多い。彼らは、近代的な戸籍制度がないのを逆手にとり、いくつもの変名を使って幕府の追及を逃れていた。時代が変わって体制側になると、そうしたことを許さないためにも、戸籍制度は役に立ったのだ。

この苗字記念日、どれだけ人口に膾炙しているのかは定かではない。私自身突然TBS「王様のブランチ」の「ジャックと豆の木」というコーナーから取材を受けて気がついたくらいである。

まだ台本もないため、どんな内容になるかはわからないが、とりあえずインタビューを受ける予定。
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