人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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本堂氏と志筑

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2010/01/25 13:06

最近、各地の博物館などの図録に注目している。

博物館の図録類はピンキリなのだが、その博物館ならではの貴重な資料が集録されていることも多い。また、マイナーなテーマの場合は、図録1冊にまとまっていて使いやすいこともある。

今回取り寄せたのは、かすみがうら市郷土資料館の第30回特別展「交代寄合 本堂氏と志筑」の図録。



「交代寄合 本堂氏と志筑」


本堂氏、といっても地元の人でない限りはピンとこないだろう。というより、地元の人でも知らない人が多いのではないだろうか。本堂氏は大名ではなく、交代寄合という大旗本だったからだ。

本堂氏は、もともと秋田県で1万石ちょっとの小さな戦国大名だった。豊臣秀吉に仕えた際に、領地の一部を削られて8983石となり、江戸時代に今の茨城県の霞ヶ浦の近くに移された。

この時、家康からは福島県で2万石近い領地を提示されたが、荒れ地だったことから拒否して、8500石ながら肥沃な志筑を選んだといわれる。1万石以下のため大名ではなくなったものの、大名になると参勤交代などで出費がかさみ、1万石程度の小大名は火の車だった。

一方、旗本だと出費は少なくてすむため、大旗本は小大名よりは遥かに裕福だったようだ。いわば、名より実をとった一族である。

幕末には薩長軍にいちはやく協力したことで加増されて1万110石となり、明治維新の直前に志筑藩主として大名に列している。

しかし、江戸時代を通じて旗本だったことから、事典などでも本堂家のことはあまり取り上げられず、本堂氏について簡潔にまとめられたものは少ないのが現状だ。

その点、図録「本堂氏と志筑」は、歴代当主の事蹟などもまとめられており重宝する。「全国博物館図録総覧」のような資料はないものだろうか。
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