人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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市河文書を山梨県が購入

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2009/06/01 10:52

5月27日、山梨県教育委員会が「市河文書」91点を購入することを公表した。

「市河文書」とは、長野県北部の豪族市河家に伝えられていた文書のこと。長野県の豪族の文書をなぜ山梨県が購入するのかというと、市河家が山梨にルーツを持ち、一時武田信玄に仕えていたことがというのもあるが、なによりこの文書によって山本勘助の実在が確認できたということが大きい。

「市河文書」は小笠原、武田、上杉家から送られた古文書で構成されており、この中には、武田信玄から市河藤若にあてた花押入りの文書もある。そこには「使者として山本菅助」を送る、と書かれているのだ。この山本菅助こそ、信玄の軍師として知られる山本勘助のことで、この文書によって架空の人物と見られていた山本勘助が、実在の人物であることが証明されたのだ。

市河家は、平安時代に甲斐国市河荘(現在の山梨県市川三郷町)をルーツとする武士で、鎌倉時代に信濃に移り、越後との国境付近の奥信濃に勢力を大きな持っていた。 戦国時代には一時武田信玄に属し、その後は上杉氏に従って、会津、米沢へと移った。さらに維新後、子孫は北海道に入植している。

昭和初期、この文書の一部が酒田の本間美術館の手に渡って国の重要文化財となり、残りは北海道に住む子孫が戦災を潜り抜けて所有していた。

今回山梨県が購入するのは、北海道の個人蔵の分で、重要文化財指定を目指して調査するという。
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