人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(5)

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2009/05/18 10:17

東戸塚の少し先からはずっと国道1号を歩き、やがて戸塚宿に入る。

実は、江戸時代の旅人は、江戸を出て最初に泊るのがこの戸塚宿だったという。そのため、五十三次中、小田原に次いで旅籠の数が多かった。日本橋からの距離は40km以上もあるが、「お江戸日本橋七つだち〜」と歌われるように、旅人は夜明け前に日本橋を出て、ひたすら早足で京を目指した。

戸塚宿に入って少し歩くと、東海道線の踏切にぶつかる。この踏切が実に長い。東海道線や横須賀線などが間断なく通るうえ、駅のすぐ隣のため電車がホームに停車している間中ずっと警報機がなって遮断機がおりっぱなしなのだ。かつて大磯に住んでいた吉田茂首相は、この開かずの踏切に怒って戸塚道路(ワンマン道路)をつくったといわれる。

この先は歩道が狭いうえに交通量が多く、歩行者はほとんどいない。東海道を歩いているんだかなんだかわからない中で、「お軽勘平の碑」があった。



お軽勘平の碑


「お軽勘平」は「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。鷺坂伴内に襲われながらもお軽の実家へ落ちていく、四段目と五段目の間にある道行が人気場面としてしばしば上演されるが、その場所が戸塚山中という設定なのだ。しかし、歌舞伎の場面を記念する碑というのは珍しい。

しばらく行くと遊行寺が見えてくる。ここは一遍上人の開いた時宗の総本山。江戸方から行くとわかりづらいが、上方からくると、大鋸橋を渡って直進するとそのまま遊行寺に入ってしまう。橋を渡ると、東海道の方が遊行寺を避けて右に曲がっているのだ。そもそも藤沢は東海道の宿場町となる前から遊行寺の門前町として栄えており、東海道はあとからできた道なのだ。



遊行寺


藤沢宿には「義経首洗いの井戸」があった。海に捨てられた義経の首がここに流れ着いたため、住民が洗い清めたというものだ。



義経首洗いの井戸


さて、藤沢宿は今の藤沢駅ではなく、小田急の藤沢本町周辺。JRの駅前でなかっため、今でも宿場町の雰囲気を残している。

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