人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(4)

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2009/05/11 10:09

暖かくなり、日も長くなってきたことから、再び東海道を歩いてみた。

今回は保土ヶ谷宿スタート。国道1号線を少し歩いたあと旧道に入ると、東海道最初の難所として知られた権太坂にさしかかる。この変わった地名の由来にはいくつかの説があるようだが、一般的に知られているのは、地名を聞かれた耳の遠い農夫が、「権太」と自分の名前を答えたのが由来というもの。



権太坂


今では両脇にびっしりと家が立っているためあまり感じないが、たまに家が途切れるとここが山の頂上であることがわかる。また、保土ヶ谷が文字とおり「谷」であることも実感できた。

権太坂を降ると、境木という場所に出る。ここが武蔵国と相模国の境で、1本の木が目印だったことに由来するらしい。武蔵国=埼玉・東京、相模国=神奈川、と思っている人も多いが、実は武蔵と相模の国境は多摩川よりずっと南にあり、今の川崎市のすべてと、横浜市の大半は旧武蔵国である。



境木


相模国に入るとすぐに焼餅坂。なにか愁嘆場のありそうな地名だが、由来は焼餅屋があったという単純なもの。このあと旧道はどんどん細くなり、品濃坂の付近では車1台が通るのがやっとのような山道になる。

品濃一里塚の案内板によると、道の両側に一里塚が残っているところは珍しいとか。両側に一里塚が残っているということは、これが本来の道幅ということだ。東海道とはいえ、宿場や街中を除くと道幅はかなり狭かったことがわかる。そのため、少なくとも片方の一里塚は取り除いて道幅を広げたために、両側に残っているところはないのだろう。

坂を抜けると、なんと東海道が階段になっていた。もちろん、もともと階段だったわけではなく、東海道の通っていた山を切り崩して下に新道を通したため、やむを得ず東海道を階段にしたものだ。そして、階段から歩道橋を渡るといきなり高層マンションの立ち並ぶ東戸塚駅前に出た。



東海道 階段
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