人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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魚梁瀬森林鉄道が国の重要文化財に

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2009/04/27 11:57

先日、文化審議会から文部科学大臣に、全国の建造物8件を国の重要文化財に指定するように、という答申があった。

このうちの1つが、高知県東部にある魚梁瀬森林鉄道の遺構である。5町村にもまたがる遺構が指定されるのも、森林鉄道の遺構が対象になるのも初めてのことだ。

魚梁瀬森林鉄道は、日本三大美林の1つに数えられる魚梁瀬周辺の国有林から木材を搬出するために国が建設したもの。戦時中には、支線も含めて総延長250kmにも及ぶ日本一の森林鉄道だった。しかし、魚梁瀬ダム建設にともなって道路が整備されたことから、1963年に廃止されている。

現在でもところどころに遺構が残っており、地元ではこれをもとに村おこしを探っていた。

「魚梁瀬」という難しい地名は、この地方に多い平家の落人伝説に由来している。平家の武将で、壇ノ浦で戦死した平教経には多くの落人伝説がある。徳島の祖谷地区に住んで、阿佐家になったという伝説が有名だが、実は祖谷にも源氏の追手がきたため、さらに四国山地を越えて高知県馬路村の魚梁瀬地区に逃れたという伝承があるのだ。

「馬路村史」によると、その際に教経一行は、奈半利川の上流で熊野神社に祈ってヤナ(川で魚とる仕掛け)を流し、そのヤナが留まった瀬に住んで、そこを「魚梁瀬」と名づけたという。

ゆずによる村おこしで有名な馬路村に、また一つ観光資源が生まれそうだ。
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