人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

長谷川さんのルーツ

このエントリーをはてなブックマークに追加

2009/04/06 09:43

甲子園で選抜を見た帰り、新大阪から新幹線に乗らず、近鉄で名古屋に抜けた。理由は、途中で長谷に立ち寄りたかったからだ。

近鉄上本町から乗った大阪線の急行を桜井で降りて各駅停車に乗り替えると、線路の両側から山が迫ってくる。この谷の入口にあるのが大和朝倉駅で、さらに3キロほど谷間を進むと長谷寺という小さな駅に着く。長谷寺そのものは有名な観光地だが、観光客の多くは観光バスなどで来るらしく、鄙びた小さな駅だった。



長谷地区 その1


この細長い谷間の中を流れているのが初瀬川。もともとは「泊瀬(はつせ)」と書き、古代には大阪湾から上ってきた船の最終の船着き場だった。後に、この東西に長い谷の地形から、「長谷」とも書くようになり、やがてまん中の「つ」が落ちて「はせ」と呼ばれるようになった。

この地を本拠としたのが、五世紀末に活躍した第21代雄略天皇である。雄略天皇は古代の天皇の中でもかなり特異な天皇で、当時としては辺境に近い初瀬の地に住んで強大な権力を持っていた。そして、全国各地に所領を持ち、そこには家臣を派遣して管理させた。彼らはこの地にちなんで「長谷川」と名乗ったことから、全国に長谷川さんが増えたのだ。



長谷地区2


今回、とりあえず長谷寺にも行ったが、長谷の谷の様子はよくわからなかったので、近くにある与喜天満神社から長谷の谷間を眺めてみた。しかし、標高が低いうえに谷が真っ直ぐではないため、残念ながら谷の全貌をみることはできなかった。むしろ、大和朝倉駅から延々と続く、線路沿いの谷間に「長い谷」であることを実感できる。



長谷寺

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ