人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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琉球王国毛一族の記念誌

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2008/11/25 09:12

先日、沖縄県那覇市で毛姓一族の400年を記念する講演会があった。その際に記念誌(門中誌)が刊行されたと聞き、早速一部取り寄せてみた。



江戸時代以前の沖縄は、琉球王国として独立国で、中国との関係が深かった。歴代の中国王朝とは、冊封という朝貢貿易を行っており、琉球王朝の名家には中国にルーツを持つ氏族も多い。そして、毛氏はその代表的な存在である。

1607年、琉球王国の外交や貿易を担うために、中国から毛国鼎という人物が琉球に渡ってきた。一族は久米村に住み、代々琉球王国の外交を担ったのだ。

明治維新後、琉球王国は日本の一部となり、外交は明治政府の専権事項となって、久米村の役割は終了した。そのため久米村の歴史は忘れられ、さらに沖縄の歴史そのものが日本史の片隅に追いやられた。筆者は中学・高校時代の日本史の授業では、沖縄については「琉球処分」以外に習った記憶はない(近年は中学校でも習っているようだ)。

沖縄では同姓の一族を門中といい、門中誌という族譜が作成されていることも多い。久米村の毛氏門中は久米国鼎会という組織をつくり、琉球史上で稀有な役割を果たしていた毛一族の研究を行っている。

今回発刊された記念誌「鼎」も、A4布貼で化粧箱に入った立派なもので、一族の歴史や人物辞典なども備えている。姓氏研究だけでなく、琉球史研究の貴重な資料になりそうだ。
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