人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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金持党のルーツを探る

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2008/08/25 11:55

「おしどりの町」として売り出している鳥取県西部の日野町。近年、ここにはもう一つ人気の場所ができた。それが同町金持にある「金持神社」である。

本来は「かもち」と読み、地名の由来は、「お金」ではなく「鉄」。島根県東部から鳥取県西部にかけては、古代から、たたら製鉄の本場として有名で、金属(鉄)を持っている土地という意味で、「金持」となったとされる。

また、後醍醐天皇が船上山に挙兵した際には、金持を本拠とする金持(かもち)党が馳せ参じたことが「太平記」にも記されており、全国に点在している「金持」さんのルーツの地の一つでもある。現在では、「かもち」と読む家はおそらくなく、「かねもち」と「かなじ」が多い。

今回、日野町の観光協会に呼ばれて「金持党のルーツを探る」と題して、同町金持の公民館で講演をおこなってきた。金持党は南朝に属して各地を転戦するうちに、本拠地を北朝方の山名氏に奪われたため、今では町内はおろか、鳥取県内にも金持姓はない。

しかし、各地に点々とある金持姓の多くは、金持党が転戦先に土着したのではないかとも思われるものが多い。ルーツと違った場所に土着すると、地名本来の読み方から、読みやすい読み方に変えるのは珍しいことではないのだ。

金持神社は、その漢字の縁起の良さから金運を招くと評判になり、今では「かねもち」神社として、多くの参拝客を集めている。境内には「2等が当たりました」など、たくさんの絵馬が奉納され、近くの販売所には多くのグッズが並べられていた。



私も、お土産に頂いた、古い1万円札を漉き込んだ扇子で、金運を扇ぎよせたいものだ。


↑古1万円札を漉き込んだ扇子
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