人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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京急創立110周年

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2008/03/03 10:57

25日、京急川崎駅で京浜急行電鉄創立110周年の記念イベントがあった。そこで大正から戦後かけて使用された、木製扉の電車をイメージした記念列車が披露され、今後1年間同線を走るという。

ところで、110年前に京浜急行が創立された時の営業区間はどこだかわかるだろうか。今では三浦半島方面から都内への通勤・通学路線で、最近は羽田空港へのアクセス線としても見直されているが、明治31年に創立された時は、東海道の川崎宿に近い六郷橋と、川崎大師間の2キロを結んでいた。いわば、神社参拝用の鉄道であった。

実は、明治時代の鉄道路線にはこういう成り立ちのものが多い。現在では成田空港への足として欠かせない京成電鉄も、そもそもの成り立ちは、成田山新勝寺への参拝路線であった。「京成」という社名そのものが、「東京」の「京」と「成田」の「成」からつけられている。

関西で日本一の路線網を誇る近畿日本鉄道も、大発展の理由は伊勢神宮への参拝用路線を敷設したことが大きい。江戸時代、庶民が旅をする理由の大半は伊勢神宮や大山などへの参拝であった。明治になっても旅行の行き先としては神社仏閣が主流で、その足として鉄道路線がいちはやく敷設されたのだ。戦前の伊勢神宮には、国鉄の他に、参宮急行電鉄(現在の近鉄)と伊勢電鉄(廃線)の計3本もの鉄道が、大阪と名古屋方面から伸びていた。

参拝路線から通勤電車に、そして空港アクセス路線へと、鉄道会社も時代に合わせて顔を変えながら発展をつづけているのだ。
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