人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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稲毛三郎とその時代

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2007/11/19 10:14

川崎市等々力にある川崎市市民ミュージアムで、「『つわもの』どもの光と影 稲毛三郎とその時代」という特別展が開催されており、18日に見てきた。



稲毛三郎とは、鎌倉時代初期に川崎市北部を領していた武将。今は生田緑地となっているあたりに居城を構え、川崎市北部一帯を領有していた。源頼朝とは義兄弟(妻同士が姉妹)にあたり、幕府の有力御家人でもあった。

神奈川県は一般には相模国と思われているが、川崎市とその周辺は相模国ではなく武蔵国に属しており、橘樹郡と呼ばれていた。そして、橘樹郡の北部は稲毛荘と呼ばれ、稲毛三郎はここに住んだことから稲毛を名字としたものだ。父有重は武蔵国小山田(町田市から川崎北部にかけて)、弟重朝は相模国榛谷(横浜市保土ヶ谷区)に住み、それぞれ住んでいた地名を名字とした。実は平安後期から鎌倉にかけては、親子や兄弟で名字が違うのはごく普通のだったのだ。

川崎市の隣に東京都稲城市がある。ここは東京都はいえ多摩川の南側で、地理的にはほとんど神奈川といえる。かつては、この付近も稲毛荘の一部だった。ただ、稲城という地名は、明治22年に周辺6村が合併した際につくられた新しいもので、ここが稲毛荘の中心だったというわけではない。また、なぜ「稲毛」でなく「稲城」にしたのかも今でははっきりとしない。

ところで、今回の展覧会のポスターの下の方をよくみると、小さな字で、協力「いなげや」と書いてあった。てっきり社長が稲毛三郎の末裔なのかと思ったら、ホームページによると、創業者が稲城の出身で、地元の英雄の名前を社名にもらったものらしい。全国的、県内的にも無名に近いのだが、地元ではかなりの知名度があるのだろう。
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