人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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ミャンマーとビルマ

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2007/10/02 09:54

ミャンマーが騒然としている。日本人カメラマンも巻き込まれ、国際問題に発展しそうだ。

ところで、私が子供のころは、この国は“ビルマ”といわれていた。竹山道雄の名作は「ビルマの竪琴」で、「ミャンマーの竪琴」ではない。では、ビルマはいつからミャンマーになったのだろうか。

ミャンマーは、12世紀頃には“ムランマー”といわれていたらしい。これが時代とともに変化して、“ミャンマー”になったとされる。また、口語では“バマー”と呼ばれ、これがヨーロッパに伝わって、“Burma(バーマ)”になった。日本で使われていた「ビルマ」という表記はオランダ語が由来(異説もある)。

ミャンマーは長く英国の植民地で、“Burma”と呼ばれていたことから、独立後も英語表記は“Burma”を使用していた。しかし、軍事政権誕生後、1989年に英語表記を“Myanmar”に変更した。日本でも以後は「ミャンマー」を使用し、教科書や地図でも「ミャンマー」と書かれるようになったため、昭和50年代後半以降に生まれた人達は、「ビルマ」時代を知らないことになる。ただし、政治的な意思表示の一つとして、あえて“ミャンマー”という表見を使用しない人達もいる。

しかし、同国民にとっては、昔からずっと“ミャンマー”であり、国名が変更したわけではない。1989年に変更されたのも英語名だけで、ビルマ語では以前から“ミャンマー”だった。

国内での呼び方と、英語を中心とした外国での呼び方が違うことは珍しいことではない。実際、日本も外国では“Japan”及び、その変化系で発音され、「ニッポン」といわれることはない。外国では、郵便切手などに書かれている「Nippon」の文字を見ても、どこの国のことだがわからない人の方が多いはずだ。

それでも、最近は“Nippon”という表記を使うことが増えてきた。バレーボールでの全日本では、かなり前から胸に“Nippon”のロゴがあった。この際、日本も英語表記を“Nippon”に変えてしまう、というのはどうだろう。
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