日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/04/01 10:40
センザキッチンのモニュメント
長門・萩地区に行って来た。最初に訪れたのは長門市の仙崎。ここは関東からは遠い。新幹線で新山口に行き、乗り換えて厚狭で下車。ここからは美祢線の代行バスに乗って長門市駅へ。このあとさらに仙崎駅まで1駅あるのだが、接続がとれておらずあきらめてタクシーで仙崎の観光拠点、道の駅センザキッチンに向かった。
仙崎は、長門市から青海島に向かって日本海に突き出した半島の上にある。江戸時代には「瀬戸崎」といった。「瀬戸」は流れの早い海峡、「崎」は海に突き出している場所のことで、文字通りの地形である。
江戸時代の瀬戸崎は日本海側を代表する湊の一つであった。漁港としてだけではなく、北前船の西回り航路の寄港地でもあり、また捕鯨の基地としても栄えていた。
一方、現在の仙崎は金子みすゞの故郷としてしられている。
「みんなちがって、みんないい」などで有名な金子みすゞは仙崎の生まれ。幼少期を過ごした書店金子文英堂跡地の跡地に、当時の書店を模した金子みすゞ記念館が建てられている。そこに掲示されていた当時の写真をみても、仙崎がいかに栄えていたかがわかる。因みに、仙崎駅から記念館に続く道は「みすゞ通り」と命名されている。
さて、金子みすゞは長く忘れられた存在だった。20歳から童謡を作って『赤い鳥』『童話』に投稿、6年間に500篇以上の童謡を書いている。23歳で結婚して一児をもうけたが離婚。26歳のとき地元の写真館で1枚の写真を撮り、その夜服毒自殺した。
無名だった金子みすゞが知られるようになったのは、没後52年たった昭和57年に『金子みすゞ全集』(全4巻)が刊行されてからだ。従って、一定の年齢以上の人は「金子みすゞ」という名前は聞いたことがない人も多い。
以後教科書に多く採用されるようになり、東日本大震災後にテレビで流れたACジャパンのCM「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」で一躍脚光浴びた。この日も、多くの観光客が記念館を訪れていた。