日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/03/18 10:29
板橋区の西北部に高島平という場所がある。高度成長期に約8000戸という巨大な団地が誕生したことで知られる場所で、今では地下鉄が高架で走り、高速道路が通る郊外の住宅地である。この「高島平」という地名が人名に由来していることは意外と知られていない。
板橋区のうち、東武東上線の通っている付近は武蔵野丘陵の末端にあたる高台なのに対し、「徳丸原(とくまるがはら)」と呼ばれた高島平付近は、荒川の氾濫原で低湿地が広がっていた。江戸時代中期の絵図にも湿原として描かれている部分も多く、将軍家の鷹場があるほか、周辺6ヵ村の馬の飼料や肥料を採取する秣(まぐさ)場の入会地でもあった。
天保12年(1841)、長崎の砲術家高島秋帆とその弟子99人は幕命によって西洋式砲術調練を披露し、幕府の軍制改革のきっかけをつくった。その場所がここ徳丸原である。松月院には大正時代に建立された「火技中興洋兵開祖高島秋帆紀功碑」というモニュメントが建てられている。
明治以降は農地となっていたが、昭和36年頃から土地開発の計画が持ち上がり、当時の日本住宅公団などが約100万坪の農地を全て買い上げてニュータウンを建設することになった。その際、このニュータウンを高島秋帆に因んで「高島平」と名付けたのである。
東京には人名に因む地名が多いが、その多くは江戸時代でのことで、戦後になって人名に因む地名がつけられたのは珍しい。高島平の幼稚園や学校の校章には、高島家の家紋「丸に重ね四つ目結」に因んだものが多いなど、今でも高島秋帆の名残が多く残っている。