日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/03/11 10:02
雪の新潟
JR東日本が販売している「キュンパス」というチケットがある。2月13日~3月13日の間の平日に限り、1日1万円で新幹線も含めて乗り放題となる(2日間用もある)。
ただし、乗れるのはJR東日本限定で、指定をとれるのも2回限り。購入者は元をとろうと早朝に出発するので、期間中の朝早い新幹線は予約で一杯になる。また、乗車日の14日以上前に購入しないといけないため、天候がどうなるかは運次第。東京からJR東日本管内で遠くに行こうとすると雪国が多いので、行先選びは慎重になる。
今回は3月5日のチケットを購入したところ、前日は寒波襲来で東京でも雪が降った。当日こそ止んだものの東北北部は不安だったので、予定を変更して新潟県の与板を訪れた。東京を出て埼玉県に入ると雪景色。高崎付近ではしっかりと積もっており、ガーラ湯沢は大雪で閉鎖というアナウンスが車内に流れるなか、長岡はさすが雪国、街中はきれいに除雪されている。
長岡駅前から40分ほどバスに乗って与板に着いた。今では長岡市の一部だが、平成の大合併までは与板町という独立した自治体だった。「与板」の由来ははっきりしないが、平安時代には「与田」とも書かれていたという。江戸時代には与板藩の城下町で、メインストリートには城下町特有のクランクが残っている。
与板藩の藩主は井伊家。彦根藩主井伊家の分家である。与板井伊家の祖は徳川四天王の一人井伊直政の長男、直勝。しかし直勝は長男にも関わらず彦根藩主を継げず、元和元年(1615)年上野安中藩3万石を興して分家し、その藩主となった。彦根藩は弟の直孝が継いでいる。
その子孫は遠江掛川3万5000石に転じたのち、江戸時代中期にいったん中絶。のち本家の直矩が跡を継いで、改めて越後与板藩2万石として再興した。戊辰戦争では本藩彦根藩に従って新政府方となり、奥羽越列藩同盟の諸藩と激しく戦っている。
江戸時代の遺構的なものはないが、2万石という小藩ながら、しっかりとした街並みが続く町だった。