人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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勝賀瀬と瀬のつく名字

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2025/01/14 10:01

(出典:国土地理院ウェブサイトより)

前回に続き、仁淀川歩き。楠瀬近くの名越屋沈下橋を過ぎると、仁淀川は激しい蛇行を見せる。北上していた川がヘアピンカーブし、Uターンして南下するのだ。この突端あたりの地名が「勝賀瀬」である。

蛇行する仁淀川

勝賀瀬には郵便局もあり、この付近では比較的大きな集落だ。北から勝賀瀬川が合流し、その川沿いに集落が広がる。上流にはかつて中追渓谷という観光地もあった(現在は廃墟化している模様)。

ここをルーツとするのが高知県独特の難読名字、「勝賀瀬(しょうがせ)」である。

『伊野町史』には戦国時代長宗我部氏に仕えていた勝賀瀬氏が記されており、寺石正路『土佐名家系譜』記載の勝賀瀬氏系譜によると、惟宗姓で江戸時代は神谷、弘岡などを経て、江ノ口村(現在は高知市)の庄屋をつとめたとある。現在も「勝賀瀬」は、ルーツの地いの町と、移り住んだ高知市に集中している。

この「柳瀬」「楠瀬」「勝賀瀬」は、合わせて「三瀬」と呼ばれた。「瀬」とは川の流れの速いところや、歩いて渡れるくらいの浅い場所を指す言葉である。瀬には生き物も多く重要な場所であったため、瀬の近くには多くの人が住み、「瀬」のつく地名が生まれ、そこから「瀬」のつく名字も誕生した。

勝賀瀬の少し先の「足谷」でバスに乗り、紙の町伊野を散策した後、路面電車で市内に戻った。

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