日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/11/26 10:24
紅葉を見に、盛岡に行って来た。訪れたのは、盛岡城跡公園、南昌荘、一ノ倉邸の3か所。なかでも紅葉で有名な南昌荘には結婚式の前撮りや、七五三の写真撮影の人達がたくさんが訪れていた。
最後に訪れた一ノ倉邸の地名は「盛岡市安倍館町」である。「あべたて」と読む。
この地名は、安倍貞任の館があったことに由来している、東北では武士の館を「たて」ということが多い。一ノ倉邸の近く、北上川のほとりの崖上には厨川柵跡(安倍館跡)があった。
とはいっても、鎌倉時代初期のもので、遺構はほぼ残っていない。周囲に濠の跡があるくらいだ。現在の厨川八幡宮が本丸跡とされる。
そして、一ノ倉邸の裏側から、いわて銀河鉄道青山駅にかけての地名は「前九年」。もちろん、前九年の役に因んでいる。
前九年の役とは、平安時代後期に、陸奥守兼鎮守府将軍であった源頼義と、陸奥国の俘囚の長として奥六郡(伊沢・江刺・和賀・稗貫・斯波・岩手の6郡)を支配し、朝廷に従わなかった安倍一族との間で戦われた戦乱のこと。
当初は優勢であった安倍貞任も、出羽の俘囚長清原武則を味方につけた源頼義に次第に追い詰められ、ついに厨川柵で戦死して乱は終息した。この前九年の役の「前九年」が地名として残っているのである。