日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/11/19 10:51
立河氏館跡を訪ねた後、立日橋で多摩川を渡って日野市にある甲州街道5番目の宿場、日野宿を訪れた。
日野宿には日野本郷名主と日野宿の問屋を兼帯して世襲した佐藤家が2家あり、宿場西側の佐藤隼人家は上佐藤家と呼ばれて本陣を、東側の彦右衛門家は下佐藤家と呼ばれて脇本陣をつとめた。現在は下佐藤家の屋敷が残されており、都内に残る甲州街道唯一の本陣建築として、東京都指定有形文化財に指定されている。
下佐藤家は、脇本陣としてだけではなく、土方歳三関連の史跡としても有名だ。下佐藤家の当主佐藤彦五郎俊正の母マサは土方家の出で、土方歳三は従兄弟にあたる。さらに彦五郎の妻ノブは歳三の姉であったことから、彦五郎は歳三の義兄でもあるという二重の縁に結ばれていた。
幕末、世相が乱れるなか自衛の必要を感じた彦五郎は、天然理心流の近藤周助の門人となっている。そして、自邸の一角に出稽古用の道場を設け、そこには後に新撰組の中核となる近藤勇、土方歳三、沖田総司らが訪れていた(近藤勇は近藤周助の養子)。
こうした関係から、彦五郎は新撰組の支援を続け、明治維新後は新撰組の復権に尽力した。今でも新選組のファンが訪れることが多い。