人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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平為賢と刀伊の入寇

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2024/10/29 10:57

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「光る君へ」で、先週20日の放送で双寿丸という人物が登場した。そして、27日の放送では双寿丸が仕えている平為賢という武士も顔を見せた。双寿丸は架空の人物だが、平為賢は実在の人物である。「平」という姓でもわかるように桓武平氏の一族で、当時はまだ地位の低かった坂東武者の一人である。

平将門の乱の後、桓武平氏は坂東各地に所領を得て土着した。そのうちの一人平維幹は常陸国筑波郡多気に住んで多気氏を称している。この維幹の四男が為賢で、常陸国伊佐に住んで伊佐氏とも称した。

さて、このあと刀伊の入寇という大事件が勃発する。このできごとは一般的にはあまり知られていないが、元寇の260年以上も前に九州に大陸から外敵が侵攻してきていた。刀伊とは女真族の一派で、対馬・壱岐を襲ったのちに筑前国にも襲来した。

この刀伊を迎え撃つ朝廷軍を率いたのが、ドラマ中で呪詛を繰り返していた藤原伊周の弟、隆家である。当時隆家は大宰府に出仕していた。そして、隆家のもとで武士として活躍したのが、平為賢である。ドラマでは双寿丸も活躍するのだろうか。

為賢の経歴などははっきりしないが、このときの活躍で肥前国に所領を賜い、子孫は肥前に土着して肥前伊佐氏になったという。こうして次第に「武士」の力が大きくなっていき、やがて武士の力は朝廷にも及ぶようになる。

 

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