日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/09/24 10:47
9月15日に福井県立図書館多目的ホールで、福井県立文書館の主宰する講演を行ってきた。地方に講演に行くと、その後で周辺の史跡や博物館などを巡るのが恒例。今回は猛暑の中、文書館の佐々木館長ご夫妻に県内を案内して頂いた。
最初に訪れたのは館長の奥様の出身地、大野市。土井家4万石(松平家時代は5万石)の城下町で、今も昔の街並みが残り「北陸の小京都」といわれている。幕末には洋学が盛んで、明治時代には繊維産業で栄えた町だ。
大野は雪解け水による地下水が豊富で、市内には8000本もの井戸があり、「清水(しょうず)」という湧水が各所で湧いている。これを日常生活で使用するため、市内で上水道を利用しているのはわずか2割程度という。
盆地の中央にある小高い山の上に大野城があり、近年は雲海の上に浮かぶ「天空の城」としても知られている。この麓に、「武家屋敷旧田村家」が公開されていた。今は季節限定の風車棚設置期間ということで、約2000個の風車が設置されていた。この田村家は予想以上に面白い家だった。
三の丸に屋敷を構えており、小藩ながら300石を知行していることから、重要な家臣であることは間違いなく、江戸時代末期の天保年間には田村俊強(としたけ)が家老を務めている。しかし、この家は通称「三の丸田村家」という分家で、別に500石を知行する本家の「大田村家」がある。
屋敷内の庭園築山の奥には土居があり一見中世武家屋敷のようにも見えたが、これはお城の土居を転用したものとのこと。また、屋敷自体も百姓家に式台などを設置して武家屋敷に改造したものだといい、なかなかユニークな上級武士の屋敷である。