日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/09/17 10:11
8月末、遅々として進まない台風がこない間に会津を訪れた。藩主松平家の庭園御薬園の重陽閣で係りの方の説明を聞き、なんとも不思議なさざえ堂などを見学した後、東山温泉に向かう途中に会津武家屋敷という施設があったので立ち寄ってみた。
武家屋敷は各地にあるが、その多くは現存する下級・中級武士の屋敷を保存・公開しているもので、比較的こじんまりしたものだ。それに比べると会津武家屋敷は広大で、いったい誰の屋敷なのかと思ったら、会津藩家老西郷家の屋敷を復元したものだった。さすがに大藩の家老は規模が違う。
西郷家は三河の国衆の出身。徳川家康の側室で、2代将軍秀忠を生んだ西郷局の親戚(亡き夫のいとこ)である西郷家員が祖である。家員は徳川家康に仕え、三方原の戦いや長篠の戦いで活躍した。江戸時代、その直系は旗本となり、分家が会津藩の家老を務めていた。
西郷家は幕末に家老を務めた頼母がとくに著名。藩主松平容保の京都守護職就任に反対して免職となり、戊辰戦争のさなか家老に復帰した際にも恭順をとなえたが、結局白河口で新政府軍と戦い、さらに榎本武揚軍に加わって箱館戦争にも参加した。頼母は、母、妻をはじめ一族21名が自決したことでも知られ、家老屋敷内にもその様子が展示されていた。
ちなみに、頼母の養子四郎は柔道家として講道館四天王の一人に数えられ、富田常雄『姿三四郎』のモデルとして知られる。