日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/09/10 10:50
和歌山県を訪れた大きな目的の一つが、紀の川市粉河にある王子神社を訪れることだった。和歌山線に乗って、降りたのは名手駅。雨が降ったり止んだりという天気で、極めて高い湿度の中を20分程歩いた小高い山の中腹あたりに王子神社があった。人気はないが、大事にされている雰囲気は伝わってくる。
今では江戸時代の庶民が名字を持っていたことはほぼ常識となっているが、さらに古く室町時代にすでに農民も名字を使用していたことがわかる資料がある。それが王子神社に伝わる「名つけ帳」である。
ここでは、男の子が生まれると翌年の正月11日に王子神社に宮参りをする。神社では、宝蔵庫の中から「名つけ帳」を取り出して子どもの名前を記していく。
この名つけの記帳が始まったのは室町時代の文明10年(1478)で、以来一度も途切れることなく現在まで続いている。名つけ帳は戦後公開されて注目を集め、昭和31年には国によって重要有形民俗文化財に指定された。
この名つけ帳には新しく生まれた子どもの名前とともに、親の名前や名字も書かれている。ここに記入しているのは粉河に住む庶民達で、決して一部の特権階級ではない。
そして、そこに記された名字は現在でも粉河付近で見られるものが多い。ということは、粉河の人達の名字は室町時代まで遡ることができると考えられる。粉河が特殊な地域であったとは考えづらく、当時、すでにかなり広い地域で庶民でも名字が使用されていたと考えた方がよく、名字の歴史を知る上では極めて重要な場所である。
もちろん、現地に行って名つけ帳がみられるわけではないが、やはり王子神社は一度は訪れておきたい場所である。戻りは山を西に降りて大和街道を西進し、30分ほど歩いて粉河駅に出た。