日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/08/06 10:25
4日のNHK大河ドラマ「光る君へ」で、久しぶりに「あかね」という新たな登場人物があった。後に宮中にあがって紫式部と同じく中宮彰子に仕え、和泉式部と呼ばれるようになる。
「和泉式部」という名前は、夫の任国が和泉国で父が文章生出身の式部丞だったからとされる。紫式部も父為時が式部大丞であった。また、和泉式部の父は大江雅致で、大江氏の通称である「江(ごう)家」に因んで江式部とも言われた。これも、紫式部が父藤原為時に因んで「藤式部」と言われたことと同じである。
さて、和泉式部は和歌の天才であると同時に、奔放な性格でも知られていた。『紫式部日記』には、和泉式部は古歌や歌の理論には詳しくないが、「口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにはべるかし。」(口をついて自然に歌を詠んでいるようにみえる)とあり、その天才肌的なことが記されている。
一方、すでに妻のあった冷泉天皇の第三皇子為尊(ためたか)親王、第四皇子敦道親王と相次いで関係を持つなどその私生活は派手だった。
ある時、藤原道長から「浮かれ女」とからかわれると、即座に「越えもせむ 越さずもあらむ 逢坂の 関もりならぬ 人なとがめそ」(男女の逢瀬の関は越える者もあれば越えない者もある。関守でもないのだから、とがめ立てしないでほしい)と切り返したという。まさに口をついて和歌の詠める女性であった。
因みに、和泉式部の叔父は大江匡衡で、その妻は赤染衛門。赤染衛門から見れば、和泉式部は夫の姪にあたる。