日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/07/16 10:58
北海道からの帰り、函館で3時間ほど時間があいた。どこに行くか、と考えた末に志苔館に行ってみた。
江戸時代以前の北海道の歴史はあまり知られていない。室町時代、渡島半島には安東氏のもとに、下国家政、下国定季、武田信広という3人の守護が支配していた。そして、渡島半島南部の海岸をぐるっと取り囲むような12の館があり、それぞれに館主がいた。これを道南十二館という。
この道南十二館のうち最も東にあったのが志苔館で、館主は小林氏といった。その場所は函館市志海苔町、函館空港のすぐ南側にある漁港近くの小高い丘の上である。
小林氏の先祖は公家万里小路藤房に仕え、重弘の時に蝦夷島に渡ったと伝える。万里小路藤房は安東氏との関係が深く、南北朝時代安東氏を頼って陸奥に下ったという伝承もある。小林氏は安東氏の家臣となって蝦夷に渡ったものかもしれない。
康正3年(1457)アイヌのコシャマインの蜂起で志苔館は他の館とともに陥落、のちに道南地域を支配した蠣崎氏の家臣となった。
さて、志苔館の跡は他のことでも有名だ。というのも、昭和43年に館跡南西の銭亀沢の発掘で、前漢代の四銖半両(紀元前175年初鋳)から明代初期の洪武通宝(1368年初鋳)まで約1500年にわたる38万枚もの大量の蓄蔵銭が見つかったのだ。
当時の北の大地で、これだけの銭が蓄蔵されていたというのは驚きだ。現在は国の重要文化財に指定されている。