人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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鳥居強右衛門と鳥居駅

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2024/06/25 10:49

豊川駅からさらに飯田線で進むと、鳥居駅という無人駅がある。長篠合戦で有名な長篠城と豊川を挟んだ向かい側で、鳥居強右衛門が磔になった場所として知られる。この鳥居強右衛門、戦国時代の歴史小説や合戦が好きな人にはおなじみだが、一般的な知名度は低かった。

しかし、大河ドラマ「どうする家康」で岡崎体育が演じて一躍有名になった。設楽原合戦場近くから乗ったタクシーの運転手の方によると、「どうする家康」の放送時には強右衛門磔の地には多くの観光客が来たという。

長篠城主奥平貞昌に仕えていた強右衛門は、長篠城から豊川を渡って無事に武田方の囲みを抜け、岡崎城の家康の陣までたどり着いて家康と信長に救援を要請した。こうして使命は果たしたにも関わらず、仲間に知らせるために長篠城に戻ろうとして武田方に捕まってしまった。

そして、その依頼に応じず長篠城の対岸から援軍が来ることを叫び、磔にかかって殺されてしまう。今回、その磔となった場所を訪れてみた。

声が聞こえるくらいの距離なら、なぜそんなに攻めあぐんでいたのかと思っていたが、現地に行くと豊川を挟んですぐ向かい側とはいうものの、険しい崖が屹立しており攻めることは難しい。しかし距離的には近く、確かに大声で叫べば城まで聞こえるだろう。近くの信昌寺には強右衛門の墓があると聞いて訪れてみた。すると、大名の墓所かと見まがうほどの立派な墓所があった。

 

ところで、強右衛門はいわゆる「武将」ではない。奥平家の陪臣とも足軽ともいわれ、その素性すら定かでない。しかし強右衛門の功によって、その子信商は100石を与えれて奥平家に仕える武士となった。そして、奥平貞昌の子忠明が分家する際にその家臣となり、子孫からは忍藩の家老を務めた人物も出ている。

また、鳥居駅という駅名も地名ではなく強右衛門に因んだものであり、強右衛門のルーツの地というわけでもない。

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