人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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弘前城と桜

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2024/04/30 10:27

ゴールデンウィーク前に弘前を訪れてきた。弘前公園は日本を代表する桜の名所の1つで、この時期は新幹線もホテルも早めに予約しないととることができない。

弘前での桜の満開は例年ゴールデンウィーク前半あたり。今年は各地の開花が例年より早まっているため1週間ほど早めの時期を予約したものの、それでも桜は満開の時期を過ぎていた。すでに葉桜になりかけていたが、花筏にはなんとか間に合った。

さて、弘前城の桜の歴史は古い。正徳5年(1715)に弘前藩士が京都嵐山から25本のカスミザクラを持ち帰ったのが始まりだといわれる。明治維新後には菊池楯衛がソメイヨシノを1,000本植え、明治28年には弘前城跡が弘前公園として一般公開された。菊池楯衛は旧弘前藩士で、地元では「青森りんごの始祖」として知られている人物だ。

その後さらに1,000本のソメイヨシノが植えられ、大正時代からは観桜会が催されて弘前は桜の名所として知られるようになった。弘前の「さくらまつり」はすでに100年を超える歴史を有している。

円安の影響もあって、観光地はどこも外国人でいっぱい。弘前公園も例外ではなく、中国人を中心に外国人が多い。そうしたなか、公園の一角に外国人が列をなして写真を撮っているところがある。なんだろうと思って調べてみると、桜の花がハートの形になっているスポットだという。

公園の公式サイトでは「場所は非公開」としてあるのだが、外国人はちゃんと調べて写真を撮るために並んでいるのだ。もはや、観光スポットすら外国人観光客に教えてもらう時代になってしまった。

なお、この時期はどうしても桜にスポットが当たってしまうが、弘前城は現存12天守の1つで、国の重要文化財に指定されている。

 

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