日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/04/02 10:31
初夏のような陽気のなか、茨城県石岡市を訪れた。「石岡」といっても、ピンとこない人が多いが、実は石岡は歴史上重要な場所の一つだった。というのも、かつては常陸国の国府がここに置かれ、常陸府中という名前だった。現在でも駅前の地名は「石岡市国府」である。
中世、ここには大掾氏という一族が本拠を置いていた。大掾氏は桓武平氏の一族で、平安時代に平国香が常陸大掾となって下向し、在庁官人として常陸国府の実権を握ったのが祖である。国香の子貞盛は平将門追討で功を上げて常陸国に多くの所領を得、甥の惟幹がその所領と常陸大掾職を継いだ。以後、代々常陸大掾を世襲して大掾氏と呼ばれた。
中世の常陸を代表する氏族だが、表舞台にはあまり登場しないのと、一族は常陸南部から下総北部に広がってそれぞれの地名を名字としため「大掾」と名乗っているものは少なく、一般的な知名度は低い。
とはいえ、大掾氏一門の惣領であった多気惟幹は『宇治拾遺物語』や『今昔物語』にも登場してその富裕ぶりが紹介されているなど、「大掾」職でありながら本来上司である常陸介よりも実力を持っていたことがうかがわれる。鎌倉時代以降は、多気氏に代わって馬場氏が大掾氏の惣領となり、以後石岡を本拠として戦国時代まで同地の大名とした続いた。剣豪塚原卜伝は一族の末裔である。
石岡駅前の観光案内所でもらった「常陸大掾氏歴史コース」に従って市内をめぐってみた。戦国末期に滅亡したため、大掾氏関連の史跡は少ないが、大掾氏の菩提寺である平福寺には大掾氏の墓所も残っている。