日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/01/16 10:56
令和6年最初に訪れたのは群馬県の伊香保。「伊香保」は『万葉集』にも「伊香保嶺(いかほろ)」として登場する古い地名で、周囲の険しい山々を指す「厳つ峰(いかつほ)」に由来するとされる。伊香保嶺とは榛名山を指している。なお、「伊香保」はアイヌ語のイカホップ(たぎる湯)に因むという説を紹介するサイトもあるが、現在ではアイヌ語地名の南限は東北の中央部あたりとされ、関東の伊香保はその外側だ。
温泉地として有名な伊香保には、いろいろなところからバス便が出ているが、青春18きっぷがあったのでJRで渋川まで行き、そこからバスで伊香保に向かった。
まずは途中の見晴し下バス停で降りて竹久夢二伊香保記念館に寄った。夢二は代表作「黒船屋」を描いた大正8年に初めて伊香保を訪れると、以後しばしば訪れ、昭和5年には榛名湖畔にアトリエを建てて移り住んだ。その後、欧米、台湾を歴訪して病気が悪化し、9年長野県の富士見高原療養所で死去している。この記念館はオルゴールがすばらしい。
さて、竹久夢二伊香保記念館の後は歩いて伊香保の中心部石段街に向かう。
伊香保といえば、竹久夢二と並んで徳冨蘆花が愛したことでも知られる。
蘆花は伊香保を愛し、その代表作「不如帰」の冒頭は「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷まげに結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり」という、新婚旅行で訪れた伊香保温泉の旅館での片岡中将の愛娘浪子の描写から始まっている。
蘆花は伊香保温泉をしばしば訪れ、千明仁泉亭を定宿としていた。病を得た後も伊香保に滞在し、亡くなる直前に無理を言って温泉に入ったという。温泉街のはずれには、徳冨蘆花記念文学館がある。
画家と文豪に愛された伊香保の街は正月から賑わっていた。