人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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飯能の能仁寺と中山氏

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2023/11/28 10:10

飯能市に能仁寺という曹洞宗の禅寺がある。ここの紅葉が見ごろということで行ってみた。能仁寺は西武池袋線の飯能駅から徒歩20分ほど。参道の紅葉はちょうど紅葉真っ盛りで、本堂に入って庭園を拝観することもできた(有料)。

能仁寺山門
境内の紅葉

平安時代末期、この付近には丹党に所属していた有力一族、加治氏がいた。名字の地は武蔵国高麗郡加治郷(埼玉県飯能市・入間市)で、高麗経家の二男家季が加治氏を称したのが祖。鎌倉時代には幕府に仕え、元弘元年(1331)に幕府軍が楠木正成の赤坂城を攻めた際に参戦した武士として加治二郎左衛門入道家貞という名がみえるなど、鎌倉御家人であった。

室町時代には、武蔵国入間郡中山(埼玉県飯能市中山)に居館を構える中山氏がこの地域を支配していた。中山氏は加治氏の子孫にあたる。能仁寺は、室町時代中期の文亀元年(1501)に中山家勝が斧屋文達を招いて小庵を結んだのが始まりとされている。そして、家勝の子家範が父の冥福を祈るために寺院を創建し、能仁寺となった。

家範は北条氏の重臣の一人で、豊臣秀吉の小田原攻めで切腹した。しかし、その子照守は徳川家康に召し出され旗本となり、照守の弟信吉の子孫はのちに水戸藩付家老となっている。

能仁寺の墓地には中山氏3代(家勝・家範・照守)の墓がある。家勝・家範・照守3人の墓は縦一列に並び、家勝・家範の墓石は自然石、照守の墓石は僧侶の墓に多い無縫塔(卵塔)である。

中山氏3代(家勝・家範・照守)の墓

 

 

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