日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/09/20 10:32
東北新幹線を古川駅で降り、「奥の細道湯けむりライン」という愛称のついた陸羽東線に乗り換えて少し行くと旧岩出山町に着く。現在は大崎市岩出山である。ここを訪ねるために、平成8年に開業した有備館駅でおりてみた。
すると、1時間に1本も電車がないローカル線の無人駅にもかかわらず多くの人が降りたので驚いた。この日はたまたまお祭りの日で、駅前ではチラシと暑さ対策のペットボトルの水が配られ、無人駅とは思えない活気で賑わっている。
そのお祭りは「政宗公祭り」。なんと今年で60回目という歴史を誇る祭りである。
実は伊達政宗は仙台城に移る前の12年間、この岩出山に住んでいた。お祭りのメインである武者行列は、有備館の前から岩出山の中心部に向かって進み、会場に向けてはシャトルバスが出るなど、想像を超えた大きな祭りだった。
有備館駅の前には、駅名の由来となった有備館がある。有備館は江戸時代初期に建てられた、仙台藩一門岩出山伊達氏の学問所。現在は回遊式の庭園とともに公開されている。岩出山伊達氏は伊達政宗の四男宗泰を祖とする分家で、1万5000石余という大身を誇り、一門の中でもとくに有力な一族だった。
有備館駅前のジャズ喫茶で昼食をとったあと、町に背後にある岩出山城跡に登った。この城は中世には岩手沢城といい、大崎氏の重臣氏家氏の居城だった。伊達政宗が居城するようになって「岩出山」に改められたという。政宗はここに住むと町割りを行い、城の下から江合(えあい)川のたもとにかけて広がる城下町を作り上げた。
昼食をとったジャズ喫茶の他、岩出山の街中にもおしゃれな喫茶店が何軒かあるなど、さすが伊達政宗が12年間住んでいたことがある、と感じさせる町だった。