人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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保渡田古墳群と車持氏

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2022/12/27 10:50

先日、群馬県高崎市の保渡田古墳群に行ってきた。当初の予定では前橋駅からバスで「かみつけの里博物館前」に行くはずだったのだが、2時間に1本のバスとうまくかみ合わず、急遽高崎で下車して市内循環バスに乗り、「井出町西」バス停から1キロほど歩くことに。

保渡田古墳群にはいくつかの古墳があるが、その中でも目立つのが博物館西側の二子山古墳と、北側の八幡塚古墳だ。二子山古墳は周囲に二重の環濠を巡らせた綺麗な前方後円墳である。

一方、八幡塚古墳の方は異様な景観をしている。というのも、この古墳は発見時に大きく削られていたこともあり、そのまま保存することをせずに、あえて築造当時の姿を再現させているからだ。

「古墳」というと、木の茂った小山をイメージするが、築造当時は木など生えておらず、土がむき出しで埴輪が飾られた極めて目立つ風景であったはずだ。ここではその様子が再現されている。

ところで、群馬県にはこうした古墳が多い。ということは古代から有力な豪族たちがいた証拠で、この保渡田古墳群に葬られたのは車持氏という、土着の豪族だったとみられている。

群馬県の名前の由来となった群馬郡は、古代では「くるま」と呼ばれ「車」とも書かれたことから、車持氏は群馬郡を代表する勢力であったと考えられる。『新撰姓氏録』によると、雄略天皇の時代に射狭君(いさのきみ)が乗輿(じょうよ=天子の乗る乗り物)を供進したことから車持公の姓を賜ったという。以後、平安時代まで、宮内省主殿寮に仕えていた。

なお、かみつけの里博物館で公開されている、八幡塚古墳から出土した「魚を咥えた鵜の埴輪」は一見の価値がある。

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