人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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松平氏のルーツ

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2022/12/06 10:06

徳川家康のルーツは、松平郷の武士松平氏である。では、松平氏のルーツは何だろうか。

江戸時代に作成された徳川家の系譜では、清和源氏新田氏庶流の得川義季(世良田義季)の子孫にあたる僧侶が、三河松平郷の領主松平太郎左衛門少尉信重の娘婿となって松平親氏を名乗ったのが祖という。しかし、これは後から作れられたものであるのは明白で、事実である可能性はほぼない。

松平親氏の像

松平郷の片隅に「在原氏の墓所」と書かれた豊田市教育委員会の設置した看板があり、そこから山の中腹に登ったところに小さな墓所がある。案内によると、室町時代初期に松平郷に入った在原氏の墓であるという。そして、松平親氏は在原氏の入り婿となって「松平」を名乗ったもので、その祖は公家在原氏であると書かれている。実際、松平氏=在原姓という説を唱える人も多い。

在原氏の墓所への道

しかし、ここでいう在原氏は親氏が養子に入った家の祖であり、のちに徳川家が主張している親氏の直接の先祖のことではない。この他、賀茂氏や鈴木氏の出という説もあり、残念ながら松平氏の出自についての定説はない。

いずれにせよ、この地に古くから松平氏という土豪がおり、入り婿の親氏という人物が松平氏を山間の一土豪から三河の国衆へと発展させる基礎を作ったことは間違いなさそうだ。実際に史上に名前がみえるのは3代信光からで、このときにはすでに室町幕府との関係も築いている三河の有力武士の一角に入っていたようだ。

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