人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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大江広元の子孫

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2022/11/22 10:31

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、いよい佳境に入ってきた。13人のうち、公家の出で幕府では官僚として仕えていた大江広元が武家まさりの活躍をみせている。実は、大江広元は下級公家の出だが、その子孫は武家に転じて活躍することになる。

広元の長男・親広は承久の乱で朝廷方について失脚。代わって惣領となった二男・時広は出羽国置賜郡長井荘(現在の山形県長井市)を領して長井氏を名乗り、評定衆などを歴任。一族は室町幕府でも評定衆をつとめた。

三男・宗元は上野国那波郡(現在の群馬県)を領して那波氏、四男・季光は相模国愛甲郡毛利荘(現在の神奈川県厚木市周辺)を領して毛利氏、五男・忠茂は尾張国海部郡海東荘(現在の愛知県稲沢市付近)を領して海東氏と称した。

この中で最も有名なのが、四男・季光の子孫である毛利氏である。季光は三浦義村の女婿となって評定衆をつとめるなど、幕府の重臣となった。

しかし、三浦一族の起こした宝治合戦で三浦氏について所領を没収されてしまう。このとき季光の四男・経光は越後にいたことから乱には参加せず、その一族が後に安芸に転じて土着した。そして、戦国時代に元就が出て中国地方を統一する大名となり、江戸時代には長州藩主をつとめた。

因みに、失脚した長男の親広の子孫も出羽国村山郡寒河江荘(現在の山形県寒河江市付近)を領して寒河江氏となり、のちに出羽の戦国大名となっている。

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