日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/11/08 10:23
10月、富山県高岡市にある勝興寺が国宝に指定されることになった。先日北陸を訪れていたので、その途中で勝興寺にも立ち寄ってみた。勝興寺があるのは高岡市の伏木地区。かつて北前船で栄えた湊で、豪商秋元家の屋敷を改装した北前船史料館もある。
この伏木地区、古くは越中国の国府が設置され、天平14年(742)には越中国分寺が建立されるなど、越中の中心地として栄えていた。現在も古国府、古府、国分堂といった国府に因む地名が残っている。また「伏木」という地名の由来には諸説あるが、その中に国府のあった場所(府敷=ふしき)に由来するという説もある。
今回の国宝指定で多くの人で訪れているらしく、伏木駅の前には専用の駐車場が出来、誘導の係員もいる。ここから参道を歩くこと数分、奥に立派な山門が見えてくる。急なことでいろいろと間に合わなかったのか、拝観料を払っても拝観順路の説明と寺内の略図が渡されるだけで、半券もパンフレットもない。
それでも、今回国宝に指定された本堂や式台には自由に上がり、写真を撮ることもできるのは貴重な体験だ。
勝興寺は文明3年(14710)に蓮如が土山御坊として創建し、四男蓮誓を置いたのが始まり。一旦焼失した後、永正14年(1517)に勝興寺として再興した。寺号は承久の乱で佐渡に流された順徳天皇の興した勝興寺に因んでいる。
戦国時代には越中一向一揆の中心勢力となり、江戸時代には加賀藩の庇護を受けている。現在は、燭台を含めると高さ3mにもなる大ローソクで有名だ。