日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/10/12 10:26
源平合戦で敗れた平家方の武士は、各地に落ちて行った。多くは合戦の舞台となった瀬戸内海から近い、四国や九州、中国地方の山間部に落ちた。これらの地方には多くの「落人集落」があり、今でも「平家の公達の子孫」という伝承を伝えている家も多い。しかし、その多くは平家一門の公達ではなく平家方に与した武士の子孫であろう。
こうした落人伝説は西日本だけではなく、東日本にもある。関東では栃木県北部に点在しており、先日鬼怒川の支流湯西川の上流にある「平家の里」を訪れ、「本家伴久」に泊まってきた。
東武鬼怒川線から野岩鉄道に乗り継ぐと湯西川駅があるが、湯西川温泉はここからさらにバスで30分ほど湯西川を遡ったところで、交通の便のない時代には秘境だったことがうかがえる。
湯西川温泉にはいくつかの老舗旅館があり、それぞれが平家の落人の末裔として伝承を伝えている。中でも一番の老舗が「本家伴久」で、室町時代に温泉を発見して江戸時代初期の寛文6年(1666)に伴久旅館(本家伴久)として湯治宿として創業したという。
先祖はいったん里に近い所に落ち着いたが、鯉のぼりをあげたことで追手に知られたため、より奥深いこの地に逃れたといい、以後鯉のぼりをあげることはしなかったと伝える。
落ちてきた人物についてはいろいろと説があるようだが、本家伴久では平忠房の末裔としている。忠房は重盛の六男。『平家物語』によると「丹後侍従」と呼ばれ、屋島合戦後に陣を抜けたとあり、のちに斬首された。伝承の真偽はともかく、今でも秘境に近いこの場所に、1000年前に落ちてきて住むことは並大抵のことではないだろう。