日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/10/04 10:08
2日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ついに北条時政夫妻が鎌倉を追放された。時政をたきつけて畠山重忠を討たせ、さらに平賀朝雅を鎌倉殿の座につけようとした後妻の「りく」。「りく」は駿河国駿河郡大岡牧(現在の静岡県沼津市・長泉町付近)の武家牧氏の出で、歴史上では「牧の方」と呼ばれている。
この牧氏は藤原氏の一族といい、平忠盛の妻池禅尼の兄弟(異説あり)という宗親が大岡牧の代官となって大岡氏と名乗ったのが祖。「りく」はこの宗親の娘で、北条時政の後妻となって牧の方と呼ばれた。以後その実家は牧氏とも呼ばれ、鎌倉幕府の御家人となった。
大岡牧はかなり広い範囲で、JR御殿場線の大岡駅から下土狩駅にかけての一帯。そこで、小田急線新松田駅から御殿場線に乗り換えて下土狩駅に行ってみた。
駅前に「鮎壺の滝」という案内があったので、駅前ロータリーを出て西に行き踏切を渡ると黄瀬川が見えてくる。すると、住宅地の中に突如滝が見えてきた。富士山の溶岩で川がせき止められてできたとのことで、アユがここからは登れず滝つぼにたまったことから「鮎壺の滝」といわれたという。
この鮎壺の滝の少し上流に堰がある。この堰は「牧堰」といわれ、牧氏が開いたと伝わるという。堰の右岸からは水が取られ、分岐した水路は住宅地の中を流れて門池という溜池にためられ、付近の水田を潤した。
鎌倉時代の豪族達はただ戦うだけではなく、こうやって新田を開発していったのだろう。