人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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現代に続く全成の子孫

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2022/07/05 13:39

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は頼朝が亡くなり、これから源氏の一族と重臣達のサバイバルが始まる。頼朝の兄弟のうち、唯一残っていた全成もこの争いに巻き込まれていく。

全成は頼朝の弟で、義朝の七男。醍醐寺で修行していたが、頼朝挙兵を聞いて寺を抜け出して頼朝軍に合流。北条政子の妹阿波局(ドラマでは実衣)を妻とし、鎌倉幕府成立後は駿河国駿東郡阿野(現在の静岡県沼津市)に所領を得、還俗して阿野氏を称した。実はこのあたりのことはよくわかっていない。

さて、以下はネタバレ。このあと北条時政と結んで2代将軍頼家と対立し、4年後の建仁3年(1203)には謀反の容疑で捕らえられて常陸国に配流となる。そして、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺された。子孫は駿河で武士として続いたが、南北朝時代以降の動向はわからない。

ところが、「阿野」の家名は意外なところで続いている。

全成の娘は後白河法皇の寵臣だった藤原成親の四男公佐に嫁いだ。公佐は全成の所領だった阿野荘の一部を領したことから、「阿野」を名乗って一家を興した。子孫からは後醍醐天皇の寵愛を一身に集め、政治にも介入したとされる阿野廉子が出ている。

以後も公家として代々続き、明治維新後は子爵となって現在まで家名を伝えている。

 

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