人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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佐倉市海隣寺の千葉一族の墓

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2022/04/04 10:16

千葉県佐倉市の海隣寺に、前回紹介した千葉一族の墓がある。とはいっても常胤の墓ではなく、戦国大名千葉氏の墓所である(常胤の墓は稲毛区の大日寺にある)。京成佐倉駅から徒歩で10分弱、「海隣寺の坂」と書かれた急坂を登った上の台地が海隣寺町で、海隣寺は佐倉市役所の隣にある。

海隣寺はもともとは、下総国馬加(現在の千葉市花見川区幕張町)にあった。「鎌倉殿の13人」にも登場した千葉常胤が家臣を連れて海辺で月を見ていた際、海上に光り輝くものがあったので網を打つと、金色に輝く阿弥陀如来像が引き上げられた。

そこで、常胤はこの仏像を「海上月越如来」と名付けて海隣寺を建立したと伝える。その後、戦国時代になって千葉親胤が現在の場所に移したという。

この常胤、わずか6歳で名門千葉氏を継いだものの、幼少のために重臣の小弓城主原氏が実権を握っていた。原氏は北条氏と結んでいたため、親胤は原氏と対立する反北条勢力の古河公方足利晴氏と結んだところ、北条氏によって捕らえられ、家督を奪われた上で原氏によって17歳で暗殺されている。

佐倉市役所の裏手にある同寺墓所には、親胤他、千葉一族の墓塔が並んでいる。

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