日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/03/07 11:50
馬込に墓のある梶原一族だが、その名字の地は鎌倉市梶原である。鎌倉の中心部からみると、梶原は北西の源氏山を越えた向こう側にあたり、今では郊外の住宅地となっている。この梶原を含む深沢地区には梶原一族に因む史跡がいくつか残っている。
梶原氏は桓武平氏で、鎌倉付近を本拠として鎌倉党と呼ばれた武士団の一員。景久が相模国鎌倉郡梶原郷(現在の鎌倉市梶原)に住んで梶原氏を称したのが祖で、「鎌倉殿の13人」で頼朝に敵対する大庭景親とは同族にあたる。
梶原地区には景時が創建したという御霊神社がある他、深沢小学校の裏手には景時の墓といわれる五輪塔がある。さらに仮粧坂へ至る途中には、御堂屋敷という南向きの小さな谷があり、この付近には「まんどころ」という小地名も残っている。「政所」とは荘園の実務を取り扱ったところのことで、梶原一族の屋敷跡である可能性がある。
また、梶原の西にあたる笛田地区にある佛行寺は景時の長男源太景季の菩提寺で、寺裏手の墓地の山の上には「源太塚」という塚が築かれている。これは、梶原一族が駿河国清見潟(現在の静岡市)で討ち取られたときに、証拠として送られてきた景季の片腕を埋めたものといわれている。