日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/02/07 10:56
1月末、高知県香南市で講演を行った。私自身は高知市内の生まれ育ちだが、香南市(当時は野市町)には一時期両親が住んでいたこともあってなじみのある土地だ。
講演があったのは金曜日の夜。野市で1泊したあと、翌日は戻りの飛行機を遅らせて安芸方面に出かけてみた。土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の車両は、壁といわず天井といわず、やなせたかしの絵が溢れている。終点の奈半利駅で降りて、接続する北川村営バスで柚子で有名な北川村の柏木へ。本当は途中にあるモネの庭にも寄りたかったのだが、残念ながら冬季休業中だった。
柏木は北川村にある山深い集落で、バス停の前は中岡慎太郎記念館。中岡家は北川郷の大庄屋で、中岡慎太郎は陸援隊を率いて海援隊の坂本龍馬とともにて活躍、明治維新直前に龍馬とともに近江屋で襲撃されて命を落としている。
戦国時代、北川郷には戦国武将北川玄蕃頭がいた。柏木の松林寺には北川一族の墓地があり、その奥には北川玄蕃頭の墓とされる五輪塔もある。江戸時代はその一族である北川家が庄屋をつとめていたが、江戸時代後期に借入金の支払いができなくなり、召し放ちとなった。
土佐藩では庄屋に転勤する制度があり、北川家に代わって吾川郡から中岡要七が柏木に移り住んで大庄屋となった。要七の孫が慎太郎で、7歳の時から毎日片道2kmの山道を越えて隣村の塾に通っていたという。
ちなみに、中岡慎太郎の姉が嫁いだ川島総次も幕末の志士として知られ、劇団ひとりはその子孫である。