人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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山林王、諸戸家

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2021/08/10 12:49

先日の三重ロケの際、自宅を早めに出て桑名で途中下車、六華苑に寄ってきた。六華苑とはかつて桑名にいた諸戸家の旧邸である。諸戸家は広大な山林を有し、島根の田部家、和歌山の脇村家とともに日本三大山林王ともいわれた。

山林王というと、古くから一帯の山を所有していた家の子孫のように思えるが、諸戸家はそうではない。諸戸家は、もともとは木曽岬町の庄屋だった。幕末の清九郎の代に塩の売買に失敗して家が傾き、桑名に転じた。

しかし、その子清六は米の売買で大儲けすると、明治中期から土地の集積を始め、渋谷から世田谷にかけての土地を買い占めた他、一族で一万町歩ともいわれる広大な山林を手にしている。

六華苑は、2代目清六が1913年に邸宅として建てたもので、現在は桑名市に寄贈され、国指定重要文化財となっている。ジョサイア・コンドル設計の豪華な洋館が主だが、面白いのは、この洋館の奥には日本家屋がつながっていることだ。明治の人にとって、表の立派な洋館とは別に日常生活を送るためには日本家屋が必用だったのだろう。

因みに「諸戸」の由来は、先祖が一向宗門徒として織田信長と戦った際に、城中の戸板を集めて活躍したことから、証意上人より「諸戸」の名字を賜ったと伝える。

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