日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2021/05/17 13:08
さて、大井川を渡って金谷宿を過ぎると東海道の難所の1つ金谷峠と中山峠にさしかかる。かつて金谷峠は石畳だった。現在は新しく石畳を敷きなおしており、入り口にあるレストランで昼食をとる。予想以上にきつい坂で、とても空腹では歩けそうにない。
金谷峠を越して茶畑の道をしばらく歩くと、「四郡の辻」という石碑があった。何かというと、この地点が4つの郡の境目だったらしく、石碑の4面にそれぞれ山名郡、佐野郡、城東郡、榛原郡と刻まれていた。
ここから日坂宿の間には中山峠がある。日坂というと、小学校の時に集めていた永谷園のお茶漬け海苔についていた歌川広重の「東海道五十三次」を思い出す。日坂宿のカードには、道の真ん中に「夜泣き石」という大きな石が描かれている極めて印象的な1枚だった。
由来は、山賊に斬り殺された妊婦が赤ちゃんを産み落とし、子どもを助けるためにその魂が巨大な石に乗り移って泣いたということに因んでいる。現在、石は近くの久延寺に移されて保管されていた。この付近は尾根道で、両側に茶畑が広がっている。歩いてこそ味わえる東海道の絶景の1つだ。
峠を下ったところにある日坂宿では、今でも各家が屋号を掲げていた。ここから掛川宿はほぼ平坦な道のため歩きもはかどる。掛川は城下町でもあり、城下町独特のクランクを経由して掛川宿に到着。
藤枝宿から掛川宿は、大井川を渡るために遠回りしたこともあり、35キロほど。写真を撮るための寄り道や、駅からの歩きも含めると歩いた総距離は初の40キロの大台となった。