日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/12/14 11:02
「麒麟がくる」に、学問好きで変わり者の公卿として三条西実澄という人物が登場し、明智光秀を正親町天皇の間を取り持っていた。
三条西実澄という公家は実在の人物で、「三条西」という変わった名字も現在まで続いている。ただし、実澄は一般的には後に改めた「実枝(さねき)」という名前で知られている。
三条西家は藤原北家閑院流の公家で、南北朝時代に正親町三条実継の二男公時が分家して一家を起こし、三条北西朱雀に住んで三条西家と称したのが祖。公時は従二位大納言で終わったが、本家の内大臣正親町公豊の二男公保が3代目を継いだことから内大臣までのぼり、以後は大臣家という公家としてもかなり上位の家となった。
三条西家は本来香道の家だったが、戦国時代に三条西実隆が古今伝授を受けたことから、歌学の家として知られた。古今伝授とは、「古今和歌集」の解釈を一子相伝の秘伝として伝えるもので、実隆、公条、実澄(実枝)と3代にわたって三条西家が継承した。
しかし、実澄は子公国が幼かったことから、弟子の細川藤孝に伝授した。このことが関ヶ原合戦の際に田辺城で包囲された細川藤孝(幽斎)が、古今伝授が絶えることを恐れた朝廷によって助けられることになるが、これは「麒麟がくる」の後の話である。