日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/08/31 11:25
30日、大河ドラマ「麒麟がくる」が約3ヶ月振りに復活した。この3ヶ月間にドラマでは4年が過ぎ、京から細川藤孝が将軍の使者として越前にやってくるところから始まる。この細川藤孝、江戸時代の熊本藩主細川家の祖となる人物である。作中で藤孝に抱かれて大人しくしていた光秀の娘「玉」は、後に藤孝の長男忠興の妻となるガラシャである。
さて、この藤孝、室町時代を代表する名門細川氏の一門だが、細川氏全体からみるとかなりの傍流である。
室町幕府の重臣だった細川氏は足利将軍家の一族で、管領細川勝元らを輩出した嫡流の京兆(けいちょう)家をはじめ、典厩家、阿波守護家など、多くの流れがある。その1つに和泉国の半分だけを支配した和泉上守護家という分家があった。
そこから三淵家の養子となった晴員の子が藤英・藤孝兄弟である。藤孝は父の実家である和泉上守護家を継いで細川を名乗っていたが、細川一族から見ると弱小分家に過ぎず、和泉上守護家は事実上滅亡状態にあった。
しかし、明智光秀と知り合ったことで運命が大きく変わり、細川一族が戦国時代の荒波にのまれて歴史の表舞台から消えていく中、藤孝の子孫は熊本藩54万石という大藩の藩主として明治維新まで続くことになる。細川護熙元首相もこの藤孝の末裔である。