人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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今川家のその後

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2020/06/08 11:17

大河ドラマ「麒麟がくる」は、7日の放送で一時中断。前半の最後は、桶狭間の合戦で毛利新介が見事なジャンプで今川義元を討ち取り、信長がいよいよ天下取りへの第1歩を踏み出すところだった。

当時、日本を代表する戦国大名であった今川家は以後衰退の一途をたどるが、徳川家と武田家に両側から浸食されて滅亡するのは、これから9年後の永禄12年(1569)のことである。武田家の場合も、長篠の合戦で壊滅的な打撃を受けてから、天目山で滅亡するまでは7年かかっているなど、強力な大名は一朝一夕には滅びない。

ドラマではこのあとの今川家のことは出てこなさそうなので、今後のことを書いておくと、義元の長男氏真はその後は文化人として京で活動、江戸時代になると徳川家康から近江国野洲郡(滋賀県)で500石を与えられている。

氏真の長男範以の子孫は儀式や典礼などを司る高家旗本となって続き、二男高久の子孫も品川家と改称してやはり高家旗本となった。

杉並区荻窪の北にある今川という地名は、高家今川家の所領のあったところだ。今川家の直系は幕末まで続き、慶応4年(1868)最後の当主範叙は若年寄に抜擢されている。

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