人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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斎藤家の末裔

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2020/05/11 10:13

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「麒麟がくる」は、主人公級の存在感を見せていた斎藤道三が長良川の戦で敗れ、次いで明智一族も高政(義龍)によって討たれてしまった。次回からはいよいよ光秀が名実ともに主人公となり、舞台も美濃を離れると思われることから、義龍とその後の斎藤一族について書いてみたい。

道三を倒して美濃の戦国大名となった義龍は、この5年後には病死してしまう。そのため、長男の龍興がわずか14歳で家督を継ぐことになった。

しかし、14歳で美濃の地を治めることはできず、稲葉一鉄ら西美濃3人衆が織田信長に内通したことで稲葉山城を追われ、戦国大名としての斎藤氏は滅亡した。龍興はその後伊勢を経て越前に転じて信長と敵対し続け、天正元年に朝倉義景とともに信長と戦って討死した。26歳であった。

こうして名実ともに斎藤氏は滅亡したわけだが、それでも完全に滅んだわけではない。義龍は弟の孫四郎と喜平治を殺したが、さらにその下に利治(長龍)という末弟がいた。利治は長良川の戦のあと織田信長を頼り、やがて信長の家臣となった。本能寺の変では信長の長男信忠に従って二条御所で討死している。利治には義興という子がおり、のちに池田輝政に仕えて江戸時代は岡山藩士になったという。

戦国時代といえども一族が完全に滅んでしまうことはあまりない。

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