日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/04/06 16:30
コロナウイルスの広がりで各種スポーツやイベントは軒並み中止となり、外出することもままならなくなってきた。そこで今回は、今年の正月に高校卒業40周年記念大同窓会出席のために久しぶりに帰郷した際のことについて書いてみたい。
同窓会の翌日、夕方に出る飛行機までの間に少し市内を歩いてみた。高知市の中心部から路面電車の土佐電鉄に乗って、東側に20分ほど行ったところに「鹿児」(かこ)という電停がある。この付近は今では高知市東部の住宅地だが、当時は高知市に深く入り込んでいた浦戸湾の東海岸だったらしい。
「土佐日記」には、京に戻る紀貫之が大津から船出をした際、国司の兄弟が「かこの崎」の磯辺で別れを惜しんだとある。「かこ」とは水夫のことで、ここには水夫たちが住んでいたのであろう。古くは「加古」とも書き、「鹿児」は当て字である。
鹿児の電停で降りて、さらに東に向かって歩いてみた。鹿児の次の電停は「舟戸」。「舟戸」「船戸」という地名は各地にあり、渡し船のあった場所を指すことが多い。そして、その次の電停は「北浦」。ここは浦戸湾の北側の岸辺だったのだろう。
現在は、すべて地名としては高知市大津の一部だが、路面電車の電停から、かつての地形を想像することができる。