人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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三好氏とはどういう一族か

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2020/02/25 10:21

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

23日の「麒麟がくる」では、管領細川晴元による、三好長慶と松永久秀の暗殺失敗が描かれていた。三好長慶は細川晴元の家臣で、松永久秀は長慶の家臣。管領という事実上の最高権力者にありながら、家臣を暗殺しようとするというところで、この時代の混迷を表している。

三好一族は阿波の出である。清和源氏で小笠原長清の二男長房が阿波国三好郡に住んで三好氏を称したのが祖と伝えるが詳細ははっきりしない。室町時代は阿波守護細川氏のもとで守護代をつとめていた。

応仁の乱の際に三好之長が細川氏に従って従軍したのをきっかけに政治の表舞台に登場、細川澄元の側近として摂津半国守護代となったが、のち細川一族の高国に敗れて刑死した。

その後、之長の孫の元長が細川晴元を擁して再上洛し、足利義維を擁して事実上畿内を制したが、やがて晴元に疎んじられて自刃している。三好氏は代々主君細川氏をかついで政権を握るが、最後は細川氏によって討たれていた。長慶はこの元長の子で、細川氏との間には深い闇があるといっていい。

さて、このあとのネタバレをいうと、長慶は父の仇である細川晴元に背く。そして、晴元と将軍足利義輝を追放して幕府実権を握り独裁政権を築いた。その分国は山城・丹波・摂津・和泉・淡路・讃岐・阿波の7ヶ国に及び、四国から畿内にかけての大大名に成長する。

しかし長慶も、晩年は台頭した松永久秀にその実権を奪われることになる。戦国時代は下剋上の時代だった。

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