人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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織田信秀の立ち位置

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2020/02/10 10:22

(清州城/photo by HiC photoAC)

「麒麟がくる」は早くも人質時代の徳川家康が登場。また京の本能寺が話題にのぼるなど、将来への伏線がちりばめられている。そうした中、織田信長はまだ登場していないが、第4回の舞台は尾張の織田家が中心だった。

当時の織田家の当主は信秀で、信長の父にあたる。ドラマでは織田家はすでに尾張を制した戦国大名のように描かれていたが、信秀の家は弾正忠家と呼ばれ、織田一族の中では傍流にすぎなかった。

織田家はもとは越前国の出で、越前守護の斯波氏が尾張守護を兼ねると、その守護代に抜擢されて尾張に転じたのが祖。
その後、尾張上四郡を支配する嫡流の岩倉織田家(伊勢守家)と、下四郡を支配する分家の清洲織田家(大和守家)に分かれ、さらに清洲織田家が三家に分裂したうちの1つが弾正忠家(勝幡織田家)である。弾正忠家は清洲織田家の家老であった。

分家の分家のすぎなかった織田弾正忠家だが、信秀の代には津島湊をおさえて経済力を蓄え、主家である清洲織田家を凌ぐ実力を備えていた。織田一族を統一したのは子の信長で、信長は清洲織田家と岩倉織田家を相次いで滅ぼすと、守護斯波氏を追放して名実ともに尾張の戦国大名となった。

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